翻訳と辞書
Words near each other
・ マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1610-1665)
・ マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744)
・ マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1738-1789)
・ マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1882-1940)
・ マリア・アンナ・フォン・サヴォイエン
・ マリア・アンナ・フォン・ザクセン=アルテンブルク
・ マリア・アンナ・フォン・ザヴォイエン
・ マリア・アンナ・フォン・シュパーニエン
・ マリア・アンナ・フォン・ハプスブルク
・ マリア・アンナ・フォン・バイエルン
マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)
・ マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1574-1616)
・ マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1805-1877)
・ マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ズルツバッハ
・ マリア・アンナ・フォン・プファルツ=ノイブルク
・ マリア・アンナ・フォン・プロイセン
・ マリア・アンナ・マンチーニ
・ マリア・アンナ・モーツァルト
・ マリア・アンナ・ヨーゼファ
・ マリア・アンナ・ヨーゼファ・フォン・エスターライヒ


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608) : ウィキペディア日本語版
マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)

マリア・アンナ・フォン・バイエルンMaria Anna von Bayern, 1551年3月21日 ミュンヘン - 1608年4月29日 グラーツ)は、ドイツのバイエルン公アルブレヒト5世の娘で、オーストリア大公カール2世の妻。
バイエルン公アルブレヒト5世とその妻で神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の娘であるアンナの間の長女として生まれた。1571年8月26日にウィーンにおいて、母方の叔父で内オーストリア、シュタイアーマルクを統治するカール大公と叔姪婚を行い、間に15人の子供をもうけた。
== 子女 ==

* フェルディナント(1572年)
* アンナ(1573年 - 1598年) - 1592年、ポーランド=スウェーデン王ジグムント3世と結婚
* マリア・クリスティーナ(1574年 - 1621年) - 1595年、トランシルヴァニア公バートリ・ジグモンドと結婚(1599年離婚)
* カタリーナ・レナータ(1576年 - 1599年)
* エリーザベト(1577年 - 1586年)
* フェルディナント2世(1578年 - 1637年) - 神聖ローマ皇帝
* カール(1579年 - 1580年)
* グレゴリア・マクシミリアーネ(1581年 - 1597年)
* エレオノーレ(1582年 - 1620年) - ハル司教座聖堂参事会員
* マクシミリアン・エルンスト(1583年 - 1616年) - ドイツ騎士団オーストリア大管区長
* マルガレーテ(1584年 - 1611年) - 1599年、スペイン王フェリペ3世と結婚
* レオポルト5世(1586年 - 1632年) 前方オーストリア大公
* コンスタンツェ(1588年 - 1631年) - 1602年、ポーランド王ジグムント3世(長姉の寡夫)と結婚
* マリア・マグダレーナ(1589年 - 1631年) - 1608年、トスカーナ大公コジモ2世と結婚
* カール(1590年 - 1624年) - ドイツ騎士団総長、ブレスラウ司教

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「マリア・アンナ・フォン・バイエルン (1551-1608)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.